編集グループ〈SURE〉

大牧冨士男
僕は村の先生だった
──村が徳山ダムに沈むまで

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好評『ぼくの家には、むささびが棲んでいた──徳山村の記録』『あのころ、ぼくは革命を信じていた──敗戦と高度成長のあいだ』に続く、ひとつの村の歴史を人生に重ねて証言するシリーズ完結編!

結婚し、小学校の先生として徳山村へ戻った。
ぼくを待っていたのは、変わりつつある村のすがただった。

2009年7月上旬刊行

定価1,620円(本体1,500円+税)

四六判変形・並装、150ページ
装幀 北沢街子
解説 黒川創

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農作業や炭焼きなどの自給自足の村の暮らしにふたたび活気をあたえていたのは、現金収入が得られる災害復旧の土方仕事だった。しきたりを重んずる平等な村に、月給取りとして戻ったぼくをとりまく、微妙な人間関係。そんななか、いつもくすぶっていたのが、ダム建設の話だった。

村全体が水に沈む──ぼくは、母に徳山方言の聞き取りをはじめた。

ぼくは低学年を受けもった。一年生五人、二年生四人、三年生二人が、ひとつの教室に机を並べて、それぞれの教科書をひろげる学級はなかなかいそがしかった。子どもたちは、かわいかった。便所は男女、教師、児童共用だった。 着任間もないある日、小便していたら寄ってきた一年生の女子にとても上思議そうに「先生も小便するの?」と真顔で聞かれておどろいた。たあいないことであるが、この邪気のない疑問に応えられる教師になりたいと、ぼくは考えた。

(本文より)

水没する旧道に代え、新しく開かれた国道は、かつての村の暮らしの場所からは、思いもよらない山の高みを走っている。

はるか天上近くに見上げて、山仕事の人しか登ることはなかったような場所である。

いま、私たちは、その場所に立ち、かつて村があったあたりの水面を見下ろす。そのあちらこちらを、大牧さんは、昔語りしながら指でさし示す。けれど、いずれも、私の目には、さざ波さえ立たない水面が、ただ扁平に広がっているだけだ。

(黒川創/解説より)

大牧冨士夫さんのこと

1928(昭和3)年、岐阜県の揖斐川上流、徳山村漆原(下開田地区)に生まれ育つ。戦争末期を新潟県村松の陸軍少年通信兵学校にすごす。戦後は、大学卒業後、岐阜市での業界紙記者づとめなどをへて、故郷の徳山村の小・中学校で教鞭をとる。かたわら、郷土史に興味を寄せ、『徳山村史』の編集執筆などにたずさわる。1985(昭和60)年、徳山ダム建設に先立ち、徳山村を離村。著書に、『郷土資料── 揖斐郡徳山村方言』、『たれか故郷をおもわざる』、『徳山ダム離村記』、『研究中野重治』、評論集『三頭立ての馬車』(共著)、『中野鈴子 付遺稿・私の日暮らし、他』などがある。

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